車輪の音が聞こえた気がして、目が覚めた。
風を切っていくそれはここ何年かのうちに耳慣れて、ここ数日のうちに耳遠いものになっていたからこそ目覚まし代わりになったというのにどうやら幻聴だったらしい。期待がはずれた落胆で、ただでさえ寝起きで重たい体がずっしりと沈んだ。
聞こえていないものを聞こえたと錯覚するなんて、われ知らずどれだけ恋しいのか。気分は港の女のつもりなのかとあきれ半分で自問してみるがそれもいまさらだ。二十年に満たない人生のほとんどをおとなりさんとして過ごしているのだ、これほどいまさらなこともないだろう。もっともそれはだれかに頼まれたのではなく、こちらがひとりでやきもきしているだけなのだけれど。
――ああ、それにしても。
なつかしい夢を見た。
あれはもう何年も前だ。学校の帰り道に、おそらく巣から落ちてしまったらしい鳥の雛をそっとハンカチに包んで連れて帰ったときの夢だ。当時は猫に食べられてしまうだとか車に轢かれてしまうだとかよりも先にかわいそうというその場の感情がなにも勝っていて、一度人間のにおいがついてしまえば仲間のところに戻れないとも知らず、ただただわたしが助けなければというなんとも子どもらしい傲慢な使命感に燃えていた。
自分のお節介な性格を単なる世話焼きとするには火力が強すぎることはいまだからこそ自覚できている。けれどあのときに鳥をこの手ですくいあげたことは少しも後悔していない。たとえ人間のにおいが移ってしまっていたとしても、けっきょくあの鳥はひとりで籠を飛び出してしまったのだから。
しかしそれは現実の話で、夢では少しちがっていた。少しと言うにはだいぶちがっていたけれど寝起きのぼんやりした感覚的はほんの少しだけ。
拾った鳥を籠に入れてやったのは最後まで責任をとって飼ってしまおうかとなったときで、それまではクッキーの空き缶に裂いた布やティッシュをたくさん詰めた寝床を用意していた。飛ぶ気配もなくすみっこのほうで羽を休めていたのはいつの間にかおとなりの男の子の姿をしていて、それでも変わらずに世話をした。乞われる前に食事をあたえ、居心地がいいように寝床を整え、飽きもしないで一方的に話しかける。映画を観るみたいに第三者の目で振り返ってみればストレスで病気になるのではないかというくらいの構いっぷりで、しかしそれは現実でも変わらないと気づいてしまった。
しまいには折り紙でつくった翼をあげた。四苦八苦してどうにかしてつくった翼がなによりよろこばれたのかもしれない、それを羽ばたかせて幼なじみは飛んでいってしまった。すごい、すごいと初めて見た笑い顔で。
そういえば、お礼は言われなかった。それすらもなんだか彼らしい。
もう十数年以上も見上げて過ごしてきた天井をなんともなしに見つめて考える。眼鏡のレンズを通さない視界では照明のデザインもいまいちおぼろげだ。
行くのだと決めれば県立の学校にも行けた――むしろ受験を意識したときにはそのつもりだった――のに、結果的には幼なじみに付き添う形で始まった高校生活もあっという間に一学期が終わって夏休みになった。
着る機会のなくなった制服は冬服も合い服も夏服もまとめてクリーニングに出したから着るものといえば中学生のときと代わり映えのない部屋着ばかりだ。制服に慣れてしまうと選ばなくていい分だけ楽で不便だが毎日私服というのも張り合いがなくなってきてやはり不便だ。べつに見せたところでかわいいねとしか言われないのはわかっている。それでも言われたいと思ってしまうのだから乙女心というのは面倒くさい。
胸のところにフリルと刺繍のある白いワンピース一枚でベッドに寝転がっている。お腹の上にはタオルケットではなくクッションを抱いて、触れている部分があついのに放り出す気にもなれない。
風を入れるのに開けていた窓からは夕方の色をし始めた空がカーテン越しにわかって、どれくらい寝ていたのだろうとため息をつく。
午前中に英語と数ⅠAの問題集を進めて、学校名をわからないまま高校野球の中継を見ながらお昼ごはんに冷麦を食べて、部屋に戻ってからの記憶がないから午後いっぱいを寝つぶしたようだ。
われながら絵に描いたような自堕落さ。いくら夏休みだからとこれではいけない。しかし部活動にはいっているのでもなければアルバイトをしているのでもない自分に長い休みは持て余すよりほかない。
友だちと遊びにいくにしてもそれが毎日であるはずもなく、家も離れているから気軽に日を合わせということもむずかしい。全員が全員、学校周辺に集まっていた小学校や中学校とはちがうのだと改めて実感する。だからといってあれだけ別れを惜しんだ元クラスメイトともほぼ疎遠なのだから、やはりそういうものなのかもしれない。
空はまだ早い夕方の色をしている。散歩くらいならばいまからでも十分間に合いそうな色合いで、しかし起きあがるのも億劫で。寝返りも打たずに同じ体勢。もしこのタイミングで隣家に面した窓のほうから何かしらの音がしたのなら飛び起きもしたと思う。もちろんそれはあり得ないと知っている。
幼なじみは部活動に――と言うのは正しくので、正確には一日中自転車に乗れることに心いっぱい胸いっぱいでここのところ帰ってすらいない。きっと寮住まいの先輩か同級生のところで寝泊まりしているのだ。長い休みのあいだは閉寮になると聞いていたけれど運動部などは毎日のように活動があるからお盆以外はいてもいいのかもしれなくて、なるほど、それならわざわざ早起きをしなくても済むから効率的だとは思う。もしかしたら部活の先輩に遅刻するなと言い含められたのかもしれない。まだ一年生なのにインターハイの選手に選ばれたのだから、その分だけ練習量を増やさなくてはいけないのだろうしそのためには少しの時間のもったいないのだろう。学校のあるときなら自分がたたき起こして引きずってでも連れていくのだけれどいまは夏休み中で、部活動のことにまで口出しはできない。こちらは正しく部外者だ。
たしかに幼なじみは不真面目だしなにを考えているかわからないことばかりだ。部活動すらサボることもある。けれどそれは正解で、まちがい。長く長く見てきたから知っている。自分だから知っている。
病気がちでどこか遠くを見ていた彼にとって、自転車は唯一この世にいる、そう実感できるものなのだとくり返し聞いた。まるで小説のようだけれど本人が言うのだからそうなのだろう。あいにくと理解できないし、してあげられないから何を馬鹿なことを言っているのかと叱り飛ばすのに隠して信じてあげることしかできない。それは彼が訴える“生きているという感じ”を改まって震えさせる、文字通りに死んでしまいそうな何かに近づいたことがないからだ。
だって、死だなんてそのような大それたもの。
あまりに漠然としていて、しかしおそらくはこわいものなのだとわかるものにわざわざ近づきたいとは思わない。たとえば交通事故のニュースをテレビで見て。たとえば人身事故のアナウンスを電車で聞いて。いやだとかこわいとかの前に自分でなくてよかったと心のどこかで自己中心的に考えてしまうのはどうしても他人事に過ぎないからだ。自分に起きていないことを想像して空想して妄想してそこに生を見出すのはとてもむずかしい。とても、しんどい。
それでも、ずっと遠いあの日に見た幼なじみは真剣な目をしていたのだ。
風が吹いて、カーテンがひるがえる。だんだんと青みを強くしていくうす赤い夕空は少し熱が引いていた。このまま夜になって、また眠って、朝になる。そうしたら顔を洗って朝ごはんを食べて、今日と同じように夏休みの宿題をする。明日は現代文のプリントだ。
遊びにいく予定もなければ隣家の部屋もからっぽで、だから宿題くらしかすることがない。それすらも終わってしまったら、そうだ、一学期の授業ノートをまとめなおそう。復習にもなるからきちんと自分のためでもある。
起きていなさいと口をすっぱくして言っても眠りこけてしまう彼にあげてしまってもいいように真あたらしいノートを使って。自転車柄のものだったなら少しは興味をもってくれるだろうか。そのような柄のノートが売っているかは知らないけれど足を延ばして雑貨屋にさがしにいくのもいい。
はためくカーテンといっしょに考えごともふわふわ揺れる。
このようなことをしても幼なじみが自分を振り返ってくれるはずがないのはどこかでわかっている。宿題を見せてと言われる前からわかりやすいように準備をして、たくさんの言葉のあとに仕方ないわねと言うのを待ち構えている。ちっとも献身なんかではない。
ただ安心したいだけ。
まだ目に映っているのだと知りたいだけ。
自転車に乗ればきっと二秒で置き去りにされる。彼がそれをわかっているのかいないのか。しかし彼のなかのいろいろがどうせ更新されないのなら、あつかましく目の前に居座るくらい許されたっていいでしょう。
幼なじみは当たり前のように、もうそこから動かせないように委員長と呼ぶけれど。自分は高校一年生で、そもそも高校に学級委員という係りはない。委員会決めのLHRはあっけらかんとサボっていたから、だから委員長と呼ぶたびにまわりが変なものを見る目になっている理由もわからないにちがいない。もしかしたらそのように見られていることすら気づいていないのかもしれない。そういったものには、本当に疎いひとだから。
遠くから車輪のまわる音がする。今度は幻聴ではない。ふつうの車輪。チキキキキと鳴るそれはカッターの刃を出す音にも似ていて、しかし似ているだけだ。彼はそのような危ないものはとっくに手放して、いいえ、手にすらせずにもっともっと速くて鋭いものに乗っている。ペダルを踏んで車輪をまわして羽ばたくように遠くて高いところに行こうとしている。夢で見たのと同じように。どこまで飛んでいってしまった、鳥みたいに。
ふと目をそらした窓の外。もう随分と色を変えた空に飛行機雲の尾がかすれていた。
ゆっくりと、まばたきする。
「さんがくったら、わたしの名前、ちゃんとおぼえているのかしら」
自転車をまだ知らなかったころのことを、自転車のない世界のことを、彼はおぼえていてくれるのだろうか。
(弱虫ペダル:これはまなんちょですか)
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