車輪の音が聞こえた気がして、目が覚めた。
風を切っていくそれはここ何年かのうちに耳慣れて、ここ数日のうちに耳遠いものになっていたからこそ目覚まし代わりになったというのにどうやら幻聴だったらしい。期待がはずれた落胆で、ただでさえ寝起きで重たい体がずっしりと沈んだ。
聞こえていないものを聞こえたと錯覚するなんて、われ知らずどれだけ恋しいのか。気分は港の女のつもりなのかとあきれ半分で自問してみるがそれもいまさらだ。二十年に満たない人生のほとんどをおとなりさんとして過ごしているのだ、これほどいまさらなこともないだろう。もっともそれはだれかに頼まれたのではなく、こちらがひとりでやきもきしているだけなのだけれど。
――ああ、それにしても。
なつかしい夢を見た。
あれはもう何年も前だ。学校の帰り道に、おそらく巣から落ちてしまったらしい鳥の雛をそっとハンカチに包んで連れて帰ったときの夢だ。当時は猫に食べられてしまうだとか車に轢かれてしまうだとかよりも先にかわいそうというその場の感情がなにも勝っていて、一度人間のにおいがついてしまえば仲間のところに戻れないとも知らず、ただただわたしが助けなければというなんとも子どもらしい傲慢な使命感に燃えていた。
自分のお節介な性格を単なる世話焼きとするには火力が強すぎることはいまだからこそ自覚できている。けれどあのときに鳥をこの手ですくいあげたことは少しも後悔していない。たとえ人間のにおいが移ってしまっていたとしても、けっきょくあの鳥はひとりで籠を飛び出してしまったのだから。
しかしそれは現実の話で、夢では少しちがっていた。少しと言うにはだいぶちがっていたけれど寝起きのぼんやりした感覚的はほんの少しだけ。
拾った鳥を籠に入れてやったのは最後まで責任をとって飼ってしまおうかとなったときで、それまではクッキーの空き缶に裂いた布やティッシュをたくさん詰めた寝床を用意していた。飛ぶ気配もなくすみっこのほうで羽を休めていたのはいつの間にかおとなりの男の子の姿をしていて、それでも変わらずに世話をした。乞われる前に食事をあたえ、居心地がいいように寝床を整え、飽きもしないで一方的に話しかける。映画を観るみたいに第三者の目で振り返ってみればストレスで病気になるのではないかというくらいの構いっぷりで、しかしそれは現実でも変わらないと気づいてしまった。
しまいには折り紙でつくった翼をあげた。四苦八苦してどうにかしてつくった翼がなによりよろこばれたのかもしれない、それを羽ばたかせて幼なじみは飛んでいってしまった。すごい、すごいと初めて見た笑い顔で。
そういえば、お礼は言われなかった。それすらもなんだか彼らしい。
もう十数年以上も見上げて過ごしてきた天井をなんともなしに見つめて考える。眼鏡のレンズを通さない視界では照明のデザインもいまいちおぼろげだ。
行くのだと決めれば県立の学校にも行けた――むしろ受験を意識したときにはそのつもりだった――のに、結果的には幼なじみに付き添う形で始まった高校生活もあっという間に一学期が終わって夏休みになった。
着る機会のなくなった制服は冬服も合い服も夏服もまとめてクリーニングに出したから着るものといえば中学生のときと代わり映えのない部屋着ばかりだ。制服に慣れてしまうと選ばなくていい分だけ楽で不便だが毎日私服というのも張り合いがなくなってきてやはり不便だ。べつに見せたところでかわいいねとしか言われないのはわかっている。それでも言われたいと思ってしまうのだから乙女心というのは面倒くさい。
胸のところにフリルと刺繍のある白いワンピース一枚でベッドに寝転がっている。お腹の上にはタオルケットではなくクッションを抱いて、触れている部分があついのに放り出す気にもなれない。
風を入れるのに開けていた窓からは夕方の色をし始めた空がカーテン越しにわかって、どれくらい寝ていたのだろうとため息をつく。
午前中に英語と数ⅠAの問題集を進めて、学校名をわからないまま高校野球の中継を見ながらお昼ごはんに冷麦を食べて、部屋に戻ってからの記憶がないから午後いっぱいを寝つぶしたようだ。
われながら絵に描いたような自堕落さ。いくら夏休みだからとこれではいけない。しかし部活動にはいっているのでもなければアルバイトをしているのでもない自分に長い休みは持て余すよりほかない。
友だちと遊びにいくにしてもそれが毎日であるはずもなく、家も離れているから気軽に日を合わせということもむずかしい。全員が全員、学校周辺に集まっていた小学校や中学校とはちがうのだと改めて実感する。だからといってあれだけ別れを惜しんだ元クラスメイトともほぼ疎遠なのだから、やはりそういうものなのかもしれない。
空はまだ早い夕方の色をしている。散歩くらいならばいまからでも十分間に合いそうな色合いで、しかし起きあがるのも億劫で。寝返りも打たずに同じ体勢。もしこのタイミングで隣家に面した窓のほうから何かしらの音がしたのなら飛び起きもしたと思う。もちろんそれはあり得ないと知っている。
幼なじみは部活動に――と言うのは正しくので、正確には一日中自転車に乗れることに心いっぱい胸いっぱいでここのところ帰ってすらいない。きっと寮住まいの先輩か同級生のところで寝泊まりしているのだ。長い休みのあいだは閉寮になると聞いていたけれど運動部などは毎日のように活動があるからお盆以外はいてもいいのかもしれなくて、なるほど、それならわざわざ早起きをしなくても済むから効率的だとは思う。もしかしたら部活の先輩に遅刻するなと言い含められたのかもしれない。まだ一年生なのにインターハイの選手に選ばれたのだから、その分だけ練習量を増やさなくてはいけないのだろうしそのためには少しの時間のもったいないのだろう。学校のあるときなら自分がたたき起こして引きずってでも連れていくのだけれどいまは夏休み中で、部活動のことにまで口出しはできない。こちらは正しく部外者だ。
たしかに幼なじみは不真面目だしなにを考えているかわからないことばかりだ。部活動すらサボることもある。けれどそれは正解で、まちがい。長く長く見てきたから知っている。自分だから知っている。
病気がちでどこか遠くを見ていた彼にとって、自転車は唯一この世にいる、そう実感できるものなのだとくり返し聞いた。まるで小説のようだけれど本人が言うのだからそうなのだろう。あいにくと理解できないし、してあげられないから何を馬鹿なことを言っているのかと叱り飛ばすのに隠して信じてあげることしかできない。それは彼が訴える“生きているという感じ”を改まって震えさせる、文字通りに死んでしまいそうな何かに近づいたことがないからだ。
だって、死だなんてそのような大それたもの。
あまりに漠然としていて、しかしおそらくはこわいものなのだとわかるものにわざわざ近づきたいとは思わない。たとえば交通事故のニュースをテレビで見て。たとえば人身事故のアナウンスを電車で聞いて。いやだとかこわいとかの前に自分でなくてよかったと心のどこかで自己中心的に考えてしまうのはどうしても他人事に過ぎないからだ。自分に起きていないことを想像して空想して妄想してそこに生を見出すのはとてもむずかしい。とても、しんどい。
それでも、ずっと遠いあの日に見た幼なじみは真剣な目をしていたのだ。
風が吹いて、カーテンがひるがえる。だんだんと青みを強くしていくうす赤い夕空は少し熱が引いていた。このまま夜になって、また眠って、朝になる。そうしたら顔を洗って朝ごはんを食べて、今日と同じように夏休みの宿題をする。明日は現代文のプリントだ。
遊びにいく予定もなければ隣家の部屋もからっぽで、だから宿題くらしかすることがない。それすらも終わってしまったら、そうだ、一学期の授業ノートをまとめなおそう。復習にもなるからきちんと自分のためでもある。
起きていなさいと口をすっぱくして言っても眠りこけてしまう彼にあげてしまってもいいように真あたらしいノートを使って。自転車柄のものだったなら少しは興味をもってくれるだろうか。そのような柄のノートが売っているかは知らないけれど足を延ばして雑貨屋にさがしにいくのもいい。
はためくカーテンといっしょに考えごともふわふわ揺れる。
このようなことをしても幼なじみが自分を振り返ってくれるはずがないのはどこかでわかっている。宿題を見せてと言われる前からわかりやすいように準備をして、たくさんの言葉のあとに仕方ないわねと言うのを待ち構えている。ちっとも献身なんかではない。
ただ安心したいだけ。
まだ目に映っているのだと知りたいだけ。
自転車に乗ればきっと二秒で置き去りにされる。彼がそれをわかっているのかいないのか。しかし彼のなかのいろいろがどうせ更新されないのなら、あつかましく目の前に居座るくらい許されたっていいでしょう。
幼なじみは当たり前のように、もうそこから動かせないように委員長と呼ぶけれど。自分は高校一年生で、そもそも高校に学級委員という係りはない。委員会決めのLHRはあっけらかんとサボっていたから、だから委員長と呼ぶたびにまわりが変なものを見る目になっている理由もわからないにちがいない。もしかしたらそのように見られていることすら気づいていないのかもしれない。そういったものには、本当に疎いひとだから。
遠くから車輪のまわる音がする。今度は幻聴ではない。ふつうの車輪。チキキキキと鳴るそれはカッターの刃を出す音にも似ていて、しかし似ているだけだ。彼はそのような危ないものはとっくに手放して、いいえ、手にすらせずにもっともっと速くて鋭いものに乗っている。ペダルを踏んで車輪をまわして羽ばたくように遠くて高いところに行こうとしている。夢で見たのと同じように。どこまで飛んでいってしまった、鳥みたいに。
ふと目をそらした窓の外。もう随分と色を変えた空に飛行機雲の尾がかすれていた。
ゆっくりと、まばたきする。
「さんがくったら、わたしの名前、ちゃんとおぼえているのかしら」
自転車をまだ知らなかったころのことを、自転車のない世界のことを、彼はおぼえていてくれるのだろうか。
(弱虫ペダル:これはまなんちょですか)
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「わたし、子どものころはずっとおにいちゃんと結婚するって思ってたの」
「決めてたんじゃなくてか?」
「うん。思ってたの。思ってただけ」
「でもね、おにいちゃんがデジタルワールドに行っちゃってからはちょっとずつだけど気持ちが変わったの。おにいちゃん、デジタルワールドにいたときはみんなの太一だったでしょう。だけどおにいちゃんはわたしのおにいちゃんだから、わたしの太一じゃなくてもいいかなって。本当には独り占めしたいけど、それはみんなにわるいかなって」
「ねえ、おにいちゃん」
「なんだ?」
「ずっと、わたしのおにいちゃんでいてね」
「おまえが結婚すれば、おまえの旦那の兄貴にはなるけどな」
「じゃあわたし結婚しない」
「おいおい」
デジモンの劇場版って20分と40分って事実に慄く。あと監督が細田守と聞いてなんだか納得。再放送しろ。
そういえば今日は世界コスプレサミットですね。
三年ぶりに父親が帰ってきた。先日行ったばかりの成人の儀(庶民向けの一般的なものだ)には鳩一羽も飛ばしてよこさなかったくせに、不意打ちにもほどがある。ただわかるのはこれが狙ったものではないこと。父親だけでなく両親が世間で言うところのふつうに疎いことなど疾うの昔に悟っている。
「わかってたつもりなんだけどね」
厚手のマグカップを包むように持ち、アルエットは濃く淹れた紅茶を飲む。
父親は碌に話をしようとせず、ひと晩経ったらまたいなくなっていた――連れてきた子どもを置いて。子どもが持っていた紙束を見るまでもなく生体レプリカということは容易に知れた。これくらいの年齢で赤毛の少年と言えばキムラスカの王族だ。誘拐などという面倒をあの父親がやるとは思えず、かといって落とし胤の可能性もうすい。キムラスカ王家はマルクトとはまたべつの意味で後継ぎに恵まれていないと聞いている。ここまで血統が濃くある子どもをキムラスカの重臣たちが隠し通せるわけがない。なぜなら子どもはベルケンド製だ。
「それにしても」手もとの羊皮紙になにやら書きつけながらエリオットがつぶやく。「まさか禁忌に手を出すとはな。いつかやるとは思っていたが」
「本当にね。しかも適当に刷りこみ(インプリンティング)して放りだすところが父さんらしいわ」
「でもって適当に学習し終えたら回収する。その後があるだけマシなのかもな。いくら使い捨てでも救いはあったわけだ」
「使い捨てる予定にしては手間をかけすぎている気がしないでもないけれど」
バスケットにきっちり均等につめられていた、これまた個々のかたちまでも均一なクッキーを口に入れる。予想に反して塩気のあったそれにアルエットはマグカップにのこっていた紅茶を一気に流しこんだ。口内の味覚が正常値にもどったのでほっと息を吐き、あからさまに笑いを噛み殺しきれていないエリオットをにらみつける。子どもに家事を指導しているのは彼だ。
「なぜ塩味のクッキーができるのかしら」
「砂糖を用意せずにつくらせたらどうなるのかと魔が差した。ある意味素直だな」
「碌なことしないで」
「打開策の候補としてドライフルーツやら加糖のカカオパウダーの類もならべておいたんだが、味覚よりも資格が先立ったらしい。貴重なデータだ」
羽ペンを洋墨壺にもどし、エリオットはこまかな字でびっしりと書きこんだ羊皮紙を重ならないようテーブルに置いた。どうやら子どもを利用した実験の詳細結果らしい。あとで読ませてもらおうと決め、アルエットはクッキーをもうひとつつまむ。まずくはないのだ、ただ期待に反しているだけで。
くだんの子どもは中庭のほうでグランツ氏にしごかれている。双子からすればまだ子どもの部類である彼は年齢に見合わずもローレライ教団神託の盾(オラクル)騎士団の要職に就いているのだと聞く。凛々しい見た目とおとなびた物言いから出会った当初より年下とは思えず、現段階においてもグランツ氏と呼ぶにいたっている。階級で呼ぶほうがおたがいに気負いしないとわかりつつ、双子が居をかまえるのはベルケンドとシェリダンの中間あたりに位置する中規模の邑。中立を掲げるローレライ教団の人間がこのようなところにいるとあっては両国からの、とくにマルクト帝国からの糾弾は避けられまい。なによりも子どもの存在がネックだ。危ない橋を渡っているのは双子、ひいてはクーガー一族も同様だ。学者を多く排出してきたこの一族は相応に闇も多い。露見した際に道連れになるのは国家だ。
「グランツ氏はあの子を教団の私設軍学校に入れるそうよ」
「へえ。じゃあ彼が父さんの依頼人か」
「なんでも、ノームリデーカンの入学試験を受けさせるつもりだとかでイフリートデーカン中に仕上げてください、ですって」
言われ、エリオットはおもしろみに欠けた壁掛け式のカレンダーを見あげた。今日はシルフデーカン・ウンディーネ・二四の日。アルエットが訓練と称して子どもに譜術での庭仕事をさせていたからまちがいではない。水龍旋(スプレッド)やら鎌鼬(ウィンドカッター)やらを駆使させて数年ぶりに手を入れた庭はまるで別宅のそれに見え、午後になって訪れたグランツ氏さえ不審というか不安そうに何度も周囲を見渡していたくらいだ。
「あと三ヶ月半もあるな」
「なめられているのかしらね。それとも素なの、これは。譜術のほうは基礎と制御はできているからあとはからだで慣れて頭につめるしかないわ。第七音譜術は当然だけど、第一と第三もなかなかね。第五は今のところ未確認だけれど、きっと奇数音譜術師(アド・フォ二マー)なのね」
「それにしては第四音譜術もあつかえるようだが、……ああ、愚問だった」
「もしかしたらもしかするかもしれない。今はまだわからないけれど経過次第では完全音譜術(オクターヴ)があつかえる。超振動なんて不安定なものよりもずっと確実だわ」
「ファブレ公爵子息は単体で超振動の発現が可能だそうだが、それに勝るのか」
キムラスカ王国の重鎮、そしてベルケンドの一部の研究者のみに知らされている国家最高機密のひとつをエリオットはさらりと口にする。本来ならば知れるはずのないそれを近所の花壇に蒔かれた種のように話している理由はかんたん極まる。たんにファブレ侯爵子息の超振動実験に何度か立ち会ったことがあるだけだ。ベルケンドの研究室にはもはや顔だけで出入りできてしまう。父親の名前と権利もときには役に立つものだ。
だが、いつになく察しのわるいエリオットにアルエットは長い髪をかきあげた。その仕草でようやく合点する。あの子どもはレプリカでもめずらしい完全同位体というものらしい。なんでも個体振動数が被験者とぴったり同じだとかでつまりは子どもにも超振動の単体使用が可能ということだ。それに加えて完全音譜術――創世暦時代よりもはるかに昔、超古代(ロストグランデ)には確実に存在していたとされる全音階を用いる譜術はどの音素にも属さないと伝え聞く。それも二〇〇〇年以上も昔の人間であるサザンクロス博士の手記にのみの記されていたものだ。アルエットは完全音譜術の復活に一生をささげるつもりでいる。その熱のはいりようは一見おだやかながらも鬼気迫るものがあり、クーガーの血を次につなぐのはおそらく自分だろうとエリオットは勝手に思っていた。
「ともかく」口をもごもごさせて不鮮明につぶやき、アルエットは脚を組み替えた。「いい加減名前を呼ばないのも限界ね。父さんもグランツ氏も教えてくれないのだからこまったわ」
「元よりないんじゃないのか」ぴ、とエリオットは人差指を垂直に立てる。
「軍学校に入学させるのであればいくらなんでも戸籍は必要よ。彼のことだから抜かりなく用意してあるはず。ならば別称をつければいいことだわ。難点は」
「センスがない」
一刀両断されてなおアルエットはつづける。「このままでは呼ばれて来る犬といっしょよ」
「前言撤回」
「許可しましょう」
エリオットは犬がきらいだ。犬にかぎらず、とにかく上位のものに媚びへつらうものすべてをきらっている。曲がりなりにも自分がかかわった子どもがそうなるのは許しがたい。それはアルエットとて同じだ。憧れと媚びは絶対的に異なる。なにより双子は猫派だ。
「名前。名前ねえ……被験者はなんと言ったかしら」
「知らん。赤毛の子どもなんて早々いないと思うが、貴族の考えなどわかるはずがない」
「赤毛は王位継承者だったわね、たしか。レプリカとわからなければ十分に王座を狙える容姿だから、影武者にでもするつもりかしら」アルエットは頬に指を当てて首をかしげる。「それにしてはダアトの介入が過ぎる気がするわ。まさかのクーデターとか」
「そんなことよりも名前だ」こちらはこめかみに指先を当て、とんとん拍子を取ってエリオットは思案する。「ルベウス、カロマイン、ロサ、ガルネット……」
「ベリル、ヴェルディ、エメロード、ジェイド……あら。どこかで聞いたわ」
「ジェイド・バルフォア。フォミクリー理論と譜眼の開発者だ」
「なら却下ね。腹立たしいもの」ぱっぱと虫でもはらうようにアルエットは手を動かす。
双子はバルフォア博士を目の敵にしている。彼の功績はたしかにすばらしいがいかんせん年齢が気に入らない。父親と同等ならまだしも彼は現在二四歳。フォミクリー理論を打ち立てたのはわずか十代なかばだ。天才というだけで優れた学説を考えつけるのはどこか特権じみていて、いまだ音素学権威ヤキンス・クーガーと生物学者マリエラ・クーガーの子どもとしか見られない自分たちと無意識的に比較してしまうのが心底いやで仕方がない。
「いっそリカでよくないか」完全に投げやりになって、エリオット。「呼びやすいし」
アルエットは頬に手を当ててうなずく。「そうね。わざわざ言い聞かせる必要もなさそうね」
子どもがレプリカということはべつに伏せていない。グランツ氏がどう思っているかは知らないが万が一被験者と鉢合わせた際に混乱してアイデンティティ崩壊を起こされても面倒だし、第一ただの人間がそうおいそれと譜術を乱発できるわけがない。特別な処置を施さなければ人間のあつかえる音素の素養は生まれたときに決定しているのだから。子育ては柔軟に。花の子ども時代をほぼ放任されて過ごしきった双子だからこその教育方針だ。
「そうと決まれば呼びなれないといけないわ」
「その前に教えないとだめだろう」
「いいえ、あの子のことだから呼んでいるうちに理解するでしょう。そのほうが、わたしたちにとってあの子はリカという認識なるもの」
「それこそ犬のあつかいじゃないか」口ではそう言いつつもエリオットは腕を組んで首肯する。「だが、一理ある」
ソファから立ちあがり、アルエットは庭を見やった。グランツ氏に飛びかかり、しかし片手でかんたんにくるりと転がされている子どもに目を細める。父親に連れてこられてばかりのころはまだほにゃほにゃの赤ん坊のようだった。けれど歩き方を訓練させれば二週間たらずで走るようになり、言葉はいまだつたないものの簡素な書き取りはできる。読むことに関して言えば古代イスパニア語さえ楽勝だ。そして子どもは譜術を使い、体術を覚えている。速度はちがってもただの子どもと同じ。けれどもあの子どもはレプリカで、グランツ氏の道具以外のなにものでもない。
子どもの罪はレプリカであることそのもの。ならば罰はそれを知ってなお生きることか。
ルークの記憶は淡いみどりの色からはじまる。実際にはほかにも色が混ざっていて、ものにたとえるならケテルブルクかロニール山脈でときどき見ることができる極光(オーロラ)というものに似ているそうだ。だがそのひかりが極光でないことはルークも知っている。人間でも生まれる前の、母胎にあったころの記憶を持っていることがあるのだというのだからたぶんこれはルークが製造されている過程のものなのだろう。
ルークは生体レプリカだ。ひとによって製造された複製人形で、その能力は原型となった被験者よりも劣る。人為的につくられた劣化生物であると同時にルークは一種の第七音素意識集合体とも呼べた。髪のひと筋、血の一滴に至るまでルークは第七音素で構成されている。音素意識集合体とは一定の音素が凝りかたまってできたものであるとされ、刷りこみ(インプリンティング)を受ける以前から自我を持っていたルークは第二の第七音素意識集合体として世界に認識されていた。
かくいうルークはつい先日音素乖離を防ぐための疑似羊水から出されたばかりだ。被験者の五八番目のレプリカであるルークは完全同位体だった。発生確率は天文学的数値。しかしその分だけ乖離しやすいためルークは自分と同じものがべつの水槽内で日に日に還るのを見ていた。音機関に属する譜業であるその水槽は乖離して空気中に拡散しようとする音素を閉じこめている。
レプリカが分解された第七音素を再利用してレプリカを製造することで先天性素養が引き継がれる。
現在提唱されている音素親和素養は生まれた月、生まれた曜日に準ずるというものだ。当然後天的に親和能力を得ることは可能だが生まれながらの属性は決定している。ただしそれは第一から第六音素に当てはまる法則であり、第七音素に関しては天賦の才だ。正確な人数を把握できるほどしか存在しない第七音譜術士だがそのうちの多くがローレライデーカンの生まれだ。この先天特化は人間に多少なりともふくまれる音素が生まれ月を司る音素集合体の祝福を受けるからだという。音素授受(アナシエーション)論というこの仮説を打ちたてたのは音素研究の権威であるクーガー博士だ。生体フォミクリーの第一人者であるバルフォア博士と肩をならべる彼こそがルーク製造の指揮を執った人物だ。もっとも、ルークが彼を見たのはまだ水槽内にあったころのことで最近では博士の実子である双子にかまわれている。
アルエット・クーガーとエリオット・クーガー。
思わず被験者とレプリカの関係なのではという考えを捨てきれないほどよく似通った男女のきょうだいだ。博士と同じ目の色で、博士とちがう髪の色。ふたりとも白衣を着ていてルークにさまざまなことを学習させた。アルエットは譜術や医術を。エリオットは一般常識や生活の知恵を。時おりやって来ては体術を仕込んでいくグランツ氏をのぞけばルークの世界はそれだけだ。それから被験者。名前も顔も知らないが(否、おそらくはルークという名前で同じ顔をしているのだろうけれど)存在は認識している。
生まれた意味など知らなかった。五七人の自分の代わりにできあがったルーク。被験者のための身代わり人形。だがそれはつくられた理由。意味などではなくて。
ルークの記憶は淡いみどりの色からはじまる。たぶん製造されている過程のもおの。記憶をくりかえすたびに気づかされる。耳鳴りのような叫び声。自分ではない、自分を構成する自分の音素がないていた。けれど自分はなくばかりで、ルークはなぜなくのかがわからなかった。
――――――――――
受験期に手書きしていたTOAが出てきたので打ちこんでみた
なんだろう、逆行ってか捏造ってかスレ系?
自分なりに譜術の原理を解明していた資料があって笑えた
あと3つくらいあります<勉強しようぜ受験期<授業中ひまだったから
今日は朝から暑かったから思いきってノースリーブのトップスにいつものショートパンツ、さすがにブーツは暑そうだからこの間安く買ったサンダル。やぼったい黒の髪もポニーテールにして、さあ玄関まで牛乳を取りにいこうとしたら、
「ひっ――」
「おまえ二の腕ひゃっこいのな」
一瞬なにを言われたかわからなくて、でも次の瞬間にはいろんな意味でびっくりしていまだにむきだしの二の腕にほほを当てているハーヴェイをもう片方の手で殴りたおしていた(まさかのクリティカル!)。
―――――
ふだん露出しない人は二の腕白いよねって話。
なんで「キーリ」なのかと言えば、わたしの中で元祖KY(いろんな意味で)がハーヴェイだからです。
まダ男とも言います。
背中にバスターソードを背負い、小脇に何かを抱えていた短い黒髪の男――ザックスは騒音と呼ぶにふさわしいくらいあわただしく廊下を駈け抜けていた。授業中ということも手伝ってか、ザックスの走る音は士官学校中に響き渡っている。そのうえ「教官教官きょうかーん!」と叫んでいるのだ。士官学校にいるのはたいてい生徒か教官であるのだからその呼びかけが意味を成すことはふつうない。だがザックスが呼ぶところの「教官」とはただひとりのことを指している。そのことを分かりきっている他の教官たちはザックスの存在を黙殺し、騒音に集中力をかき乱されている生徒たちを叱責している。
――ばたばたばた!
あのひとは第三訓練室にいるはずだ。何度も世話になった自分が迷うわけがない……確固とした自信を持ってザックスは迷うことなく廊下を駈ける。
目的の場所にたどりつく直前になってガラリと扉がひらかれた。「廊下を走るな」背筋が凍るような低い声を同時に足に何か引っ掛かって「うおっ!」ザックスは転倒した。咄嗟に抱えていた物を小脇から胸に移動させて受身を取る。
「痛ぇー」
後頭部と肩を思いきり打ってしまった。地面とちがって硬いリノリウムの床はすべりやすいし受身が取りにくい。なによりザックスは防御が苦手だ。痛む後頭部をさすっていると、目の前に黒い影が立った。おそるおそる顔をあげれば紫暗色の双眸と目が合った。
「ソルジャー・ザックス」
「はいっ」
名前を敬称付きで呼ばれる。昔の条件反射でザックスはバネだけで立ち上がるとぴしりと背筋を伸ばして敬礼する。
教官はザックスを見おろして後ろ手を組む。
「まず、あなたはソルジャー1stとしての自覚がたりなさすぎる」
「はい……」
「だいたいあなたは今月にはいって何枚始末書を書いた。それを処理する管理部の身にもなってみろ。ただでさえデスクワークが苦手なあなたには書類処理がどれだけ手間が掛かるのかわかっているだろう」
「はい……すんません」
「ならば次回こそ気をつけろ。……それで、士官学校をとうの昔に卒業させてやったあなたが一教官である俺に何用だ」
「あ、そうだった! 教官こいつ診てやってくれよ」
ザックスは胸に抱えていたものを教官に渡す。押しつけられるよう受け取った教官はそれが異様に軽いことにおどろいた。血で汚れた毛布に包まっているそれを見て一気に機嫌が低下する。ザックスがやばいと思ったのも束の間、教官はにっこりと綺麗な笑顔を張りつけていた。
「おい、ハリネズミ。おまえ、どこでこいつ拾ってきやがった」
言葉はかなり凶悪だ。それに比例して目が爛々と物騒な光を保っている。
ザックスは腹を据え、ぽつりと日常では考えられない蚊の鳴くような細い声で告げた。
「……ニブルエリアです」
「こんの……大馬鹿が!」
ごん!
耳を疑うような鈍い音。その直後に地割れが怒りそうなザックスの悲鳴が建物内に響いた。
***
バルセイザ・グレイフィールドといえば、いつでも軍服に似た士官学校の教官服を隙なくきっちりと着こなしている。黒い制帽から零れるのは日に透ける細い金髪だ。百八十七センチと長身だが、見た目では小柄で痩せている印象を与えるのは無駄な筋肉がいっさいついていないからだ。北方系の血の引いているらしく肌はアルビノと間違えられるほど白い。それに似合う中世的な顔立ちと大きな紫の目とは裏腹に士官学校では鬼教官で通っている。年齢や出身を問わない彼の無差別さをきらう者は多いが、問題児の教育にかけてはピカイチだ。ザックスもそんな彼に卒業させてもらったクチである。
そのバルセイザを前にザックスは固まっていた。
今いるのは校舎ではなく教官の私室などがある棟だ。全寮制のこの学校は教官にも寮生活を強いているのだ。
先ほどザックスが持ちこんだもの。それは小柄な少年だった。
その少年はニブルエリアでモンスター掃討ミッションの最中に血塗れで倒れているのをザックスが発見したのだ。そのミッションの指揮官はザックスで、ミッション終了と同時に慌てて輸送機(ゲルニカ)に飛び乗ってミッドガルまで戻ってきたのだ。そのまま看護班に預ければいいものを、何をトチ狂ったのかザックスは混乱したまま頼りになる恩師のところまで走ったというわけだ。
「……それで?」
「…………以上です、サー」
「サーをつけるな。あなたのほうが上官なんだぞ」
「癖になっちまってんすから、ほっといて」
不貞腐れながらザックスはちらりとベッドのうえを見やった。
簡素なパイプベッドでは少年がすやすやと寝息を立てている。汚れた身体を清潔な布で拭ってみると驚いたことに真っ白な肌が覗いた。ぱらぱらと乾いた血がこびりついていた髪はプラチナブロンドだ。
「あの子どもはどうする気だ?」
「しばらくあずかっといてニブルに返そうと思ってたんだけどさ、俺ミッションはいっちまったんだよ」
「期限は」
「指揮は旦那だからたぶん一週間以内」
「……俺にあずかれと?」
「さっすがー! 教官は話が早いなあ」
―――――
無謀にもFF7を焼きなおしてみようと書きだしてみたものの一部。
2007年9月ってもろ受験中やーん。
まあCC出たからもうむりですな。